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全ての路はB級映画へ通ず
a0012356_4242142.jpg恐怖の映画史・イタリア編に行ってきましたよ。

上映作品3本のうち、2本が字幕無し。気合いだけでイタリア語を理解したので少し疲れた。



*詳しい作品解説はリンク先より各自調査。

「地獄のバスターズ」はQ・タランティーノがリメイクを進行中の戦争アクション。ああ、こういうの好きそうだなあ、という愉快なシュチュエーション満載。予算が無いから何度も同じ場所で戦うのが良い、茶化す訳じゃなくて。

「マッキラー」はルチオ・フルチの傑作ホラー。前に観てるハズだけどほとんど覚えて無かった&他の映画と混ざってた事に気がついた。そんな映画だけどやっぱり変で面白い、茶化す訳じゃなくて。

「シシリアン/復讐の挽歌」はフェルナンド・ディ・レオの犯罪もの。シシリアンだけど舞台はローマ。これもタランティーノの熱烈なプッシュらしいけど、なんの変哲もないアクション。そこがイイ、茶化す訳じゃなくて。

今日観たこの三本に限らず、イタリアのB級映画には特色があって面白い。それはイタリア映画全盛期、チネチッタの遺産がまだ生きているという部分で、スタジオシステムで培った確かな職人の技術があるのに、イタリアーナな民族性なのか何なのか、適当な脚本やアイデアで映画を作ってしまうという矛盾から生まれるものではないだろうか。

よく昔のマカロニウエスタンや香港映画で見る、急に人物にグーっ、と寄るズームの技術は実は映画の技法としては邪道で、早いし簡単だから使用するものだ(アメリカ映画はすでに対象に寄って撮る、という技術が確率されてたのでほとんど見ない)。しかしこの撮影方法、技術的にはズームと同時にピントを合わせなければならず、難易度は高いので、いいんだか悪いんだか分からない(トークショーで東京フィルメックス・市山氏の「イタリアB級映画には教会の修復などにも通じる器用さがある」との発言も興味深かった)。

B級映画を観るたびに、映画はやはり”作り物”なのだと実感する。

商業的な目的で創られようが、下品だろうが、ロケ地がセコかろうが、マンネリだろうが、カメラがブレてようが、アフレコの口が合ってなかろうが、皆で集まって工夫しながら作る”作り物”なのだ。だからこそ、その作り物から人間味が垣間見えるとたまらなく愛おしくなる。

B級映画も結局は人間を観るという作業なのである。それでいて同時に「見てはいけないもの」を見るという作業でもあるというトコが肝。
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by erenoa70 | 2004-11-30 04:30 | Movie